そのひぐらし

旅だけがアイデンティティ

段嶺隧道/新段嶺トンネル(愛知県設楽町)

私がこの地を始めて訪れたのは、豊橋鉄道田口線の廃線跡に興味を持ち、実際に赴こうと考えた2023年5月。豊田市足助方面から国道473号、257号を通って設楽町へやってくるとこのトンネルに出会うことになる。

 

 

2024/03/13 13:43

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そのトンネルは豊川沿いにある。豊川といえば、名鉄やJR乗ると豊橋着く直前に大きな川を渡ります。「もうすぐ豊橋着くわ...」ってなる、アイツ。上流部ではまた違った光景を見せてくれる。


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現行のトンネルは「新段嶺トンネル」。東側(設楽町市街地側)から撮影。西側(足助側)からやってくるとトンネルを抜けた直後で丁字路に突き当たることになる。少しくたびれた見た目をしていながらも歩道までしっかりついている、最近のトンネルである。

 

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これはトンネル坑口の銘板。読みは「しんだみね」だと思っていたが、平成16年度道路施設現況調査では「シンダンレイ」で登録されている。どっちが正しいの???

竣工は1992年3月で、幅7.0m(現況調査の道路部幅は9.0m)、高さ4.7m。

1992年。割と最近である。じゃあこのトンネルができるまではどこを通っていたのだろうか?

 

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答えは簡単である。この写真は東側の丁字路(この交差点の名前は「田峯」である)から撮影した。右は先ほど1992年竣工の新段嶺トンネル。左は...?


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これが旧トンネルである。扁額によると「段嶺隧道」というらしい。段嶺(だみね)という名前についてだが、当地は1889年から1956年まで段嶺村に属していたので、その名残だろう。

そう考えると、トンネルの読み方は「だみね」が正解のような気がするが、読み方が変わってしまったのだろうか?旧トンネルも「だんれい」で登録されている。

左のヘキサは県道を示しているわけではなく、設楽町独自の町道標識だそう。現在でも町道認定されているようだが、トンネル手前にある柵によって自動車の通行はできない。


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坑口をアップで。トンネルの竣工年とサイズが知りたく、銘板を探したが現地では見つからなかった。平成16年度道路施設現況調査によれば1932年の竣工で、道路部幅が7.5mで高さ4.1mとなっている。意外と古い!戦前のトンネルとしては大きいような気がするのだが、どうでしょうか?(国道153号の伊勢神トンネルは1960年の竣工なのに対して高さ3.7mしかない。ただし延長は20倍ちょっと異なる。)

 

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トンネル内部は綺麗に保存されている。中に入ってみるとなかなかの大断面に驚く。戦前製とは信じられない。

また、一昔前は役場に申請すれば当トンネルをイベント等で利用できたそうだが、現在はどうなっているのでしょうか。


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延長は53mなのであっという間に出口である。落石注意の標識は忘れ去られているのだろうか。それとも現行の町道だから残しているのだろうか。とにかく、旧道なのに道路の「生」を感じる光景である。


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西側から。3月なのにも関わらず雑草がやや茂っていてとても現役と勘違いするはずはなさそうだ。


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旧道はこの先も続いており、現道が新段嶺トンネルを抜けた先で合流する。